タオの智慧

【東洋の身体論】自分の体を「自分の所有物」だと思っていませんか?

この記事でわかること

  • 『荘子』に残る「からだは自分のものではない」という問答
  • からだ・いのち・こころ・子孫まで「天地からの預かりもの」という見方
  • 「オーナー」ではなく「城主」として、神様がいてくださるからだとつき合うこと

ちょっと想像してみてください。

お気に入りの車を、だれかに貸したとします。
返ってきたら、オイルは切れ、傷だらけ、中はゴミだらけ。
「いい加減にして!」と言いたくなりますよね。

では、もうひとつ質問です。
あなたのからだは、本当に「あなたのもの」でしょうか。

「自分の体だから、多少の無理は自己責任」
そう思って、睡眠を削ったり、食事を抜いたりしていませんか。

実は2千年以上前に、この問いにずばりと答えた書物があります。
道教の源流のひとつ、『荘子(そうじ)』です。

※この記事は、道教や東洋の考え方を紹介する読みものです。医療の代わりではありません。からだの不調があるときは、医療機関に相談してください。

『荘子』に残る、ある問答

「からだは、だれのものか」

『荘子』の「知北遊(ちほくゆう)」という篇に、こんな問答があります。

古代中国の伝説の王、舜(しゅん)が、師にたずねました。
「道(タオ)というものを、自分のものにできますか」

師は答えます。
「あなたのからださえ、あなたのものではない。それなのに、どうして道を自分のものにできよう」

舜は驚いて聞き返します。
「私のからだが私のものでないなら、だれのものなのですか」

師の答えはこうです。
「それは、天地があなたに預けた形だ」

預かっているのは、からだだけではない

この問答には、続きがあります。
師は、からだだけでなく、ほかのものも天地からの預かりものだと語ります。

預かっているもの『荘子』の言い方(やさしい訳)
からだ天地が預けた「形」
生きていること天地が預けた「調和」
その人らしさ・いのち天地が預けた「めぐり」
子どもや子孫天地が預けた「脱いだ殻」

からだも、生きていることも、その人らしさも、子どもたちも。
どれも自分の持ち物ではなく、天地からしばらく預かっているもの。

2千年以上前の言葉ですが、今読んでもハッとさせられます。

道教では、預かったからだに神様がいてくださる

天生神が組み立て、九霊神が住まう

『荘子』の「天地が預けた形」という言葉は、その後の道教で、もっと具体的な物語になっていきます。

シリーズ第1回でご紹介した『九天生神章経』では、お腹の中の十か月、九つの天の神々がひと月ずつ気を授けて、からだを組み立ててくださいました。 → 私たちが「とつき(十月)」をかけて生まれてきた理由。胎内で始まる10の愛のステップ あまねくもりでは、この神々を「天生神」と呼んでいます。

そして生まれたあとは、からだのあちこちに名前のある神様がいてくださる。 → あなたの身体は、神様たちが暮らすお城。「身神(しんしん)」が居心地のいいお部屋の作り方 私が学んだ護符の系譜では、この神々を「九霊神」と呼んでいます。

つまり、私たちのからだは、
天地から預けられ、
天生神に組み立てられ、
九霊神に住んでいただいている。
ひとりで全部を持っているものでは、もともとないのです。

「自分のもの」と思うと、雑になる

不思議なもので、人は「自分のもの」ほど雑に扱いがちです。
借りた本は汚さないようにするのに、自分の本には平気でコーヒーをこぼす。

からだも同じです。
「自分の体だから、睡眠を削ってもいい」
「自分の胃腸だから、多少の無理は自己責任」
これは、からだを自分の持ち物として見る、オーナーの考え方です。

あまねくもりの読み解き:オーナーではなく、城主

預かったお城を守る城主

あまねくもりでは、『荘子』の預かりものの考え方と、道教の「からだに神様がいてくださる」という考え方を合わせて、こう読み解いています。

からだは、天地から預かったお城。
私たちはそのオーナーではなく、預かっている城主。
お城の中では、九霊神をはじめ、たくさんの神様が毎日働いてくださっている。

城主の考え方だと、少し変わってきます。
「預かっているものだから、ちゃんと返せるように手入れしよう」
「住んでくださっている神様たちが、居心地よく過ごせるようにしよう」

古民家に住んでいると、この感覚がよくわかります。
この家は私が建てたものではなく、前の住人から受け継いだもの。
いつか、次の人に渡していくもの。
だから、柱を拭く手にも、自然と気持ちがこもります。

「言うことを聞かない体」と感じたら

「自分の体なのに、言うことを聞いてくれない」
そう感じるときは、からだをオーナーとして動かそうとしているときかもしれません。

一度、城主の目で見てみる。
言うことを聞かないのではなく、住んでくださっている神様たちが「ちょっと休ませて」と言っているのかもしれません。

預かりものなら、思いどおりにいかないのは当たり前です。
人から預かった植物が、こちらの都合どおりに花を咲かせないのと同じ。
そう思えると、からだへの苛立ちが、少しだけゆるむ気がしませんか。

いつか天地にお返しする日まで

『荘子』は、からだを「預かりもの」と語りました。
預かりものには、いつかお返しする日が来ます。

それは、さみしいことではなく、むしろ心が軽くなることだと私は感じています。
全部を自分の力で持ちこたえなくていい。
天地から預かって、神様たちと一緒に、今日もこのお城を守っている。

「自分のもの」という重たい荷物を下ろして、
「預かっているもの」として、よりていねいに扱う。
それが、東洋の身体論が教えてくれる、からだとのつき合い方です。

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参考:『荘子』知北遊篇(舜と丞の問答「汝身非汝有也…是天地之委形也」)、『洞玄霊宝自然九天生神章経』。表の訳は、あまねくもりによるやさしい言い換えです。

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